岩崎産業株式会社をはじめとするいわさきグループのCEO岩崎芳太郎が初出版!
地方を殺すのは誰か
立ち上がれ、圧制に苦しむ地方の経営者よ!
- 著者
- 岩崎 芳太郎(インターローカルメディア株式会社代表取締役会長&CEO)
- 定価
- 1,260円(税込) 本体1,200円(税別)
- 単行本
- 四六判264ページ
- 出版社
- PHP研究所
- 発売日
- 平成21年1月27日(火)
夕刊フジ(2009年2月17日〈日刊〉第12053号)・鈴木棟一の「風雲永田町3695」
週刊新潮(2009年2月19日号)・TEMPO BOOKS
サンデー毎日(2009年3.22増大号)・小川真理生「ビル風吹けば」
西日本新聞(2009年3月29日朝刊)・読書館「郷土コーナー」
地域開発(2009年5月vol.536)書評掲載
日経グローカル (2009 7/6 No.127)書評掲載
(著者 インタビュー) 記事は下記よりご覧頂けます。(掲載日付順)
月刊コロンブス(2009年4月号) ・特選銘柄 編集長インタビュー
財界九州(2009年4月号)・激変時代の 社長力 インタビュー
もはや無関心でいられない地方情勢。中央集権システムの我が国の構造を改造し、地方が栄え、国が栄えることのできる新しい日本へ。
「岩崎芳太郎の「反・中央集権」思想」も併せてご覧下さい。
著者・岩崎 芳太郎からのメッセージ
小泉・竹中構造改革という名の亡国的失政により、多くの地方の企業家が金融機関に潰されていく中で、いわさきグループはなんとか何回かの危機をギリギリのところで凌いで今日まで生き残る事ができました。
実際、長信銀不要論が喧伝され、長信銀三行が次々に破綻・消滅していった時、日本型他人資本主義の破壊を米国エスタブリッシュメントは狙い、仕掛けてきているのではないかとの予感と不安はここまでドンピシャリに当るとは思いませんでした。
しかも、ここまで完璧に彼らの思惑通りになってしまうと、アングロサクソンとユダヤのリーダ達の戦略的思考力やインテリジェンスパワーが日本人のリーダー達のそれより遥かに優れている事が、再び実証されたという妙に冷めた諦観を持つとともに、多くの知識人とマスコミ人と官僚と一群の政治家が再三再四、いとも簡単に彼らの期待通りの役割を演じ、真の国益を省みずに米国のエスタブリッシュメントの手先として動くことに対して、日本人の一人として、怒りとなさけなさを禁じ得ませんでした。
一方、5,000人以上の社員を抱える企業の経営者としては、日々プラグマティストとして、
時価会計やBIS基準や金融検査マニュアルや税効果会計や規制緩和や民営化などの名のもとで起こる全ての外部環境の変化を現実のものとして受け入れて、経営していかねば会社は潰れてしまいます。「世界がどうだ」、「日本がどうだ」、「地球がどうだ」、「社会がどうだ」そんな事に係わるゆとりを持てるべくもなく、ひたすら「負ければ賊軍」と己を鼓舞し、「個」の経営に徹せざるを得ませんでした。
然るに皮肉なもので、具体的な「個」の経営の局面局面で、経営者としての責任感を強く自覚すればする程、逆に、所与のものである外部環境を改善するために、能動的にアクションする事も今の経営者は経営の一環とすべきなのではないかと感じるようになって、数年が経ちます。
また、その思いはこの国の状況が日増しに悪化していくのを目の当りにし、より強いものになっていきました。
そして、もうひとつ、それ以上に強く感じるようになった事は「他の誰かが、いずれ何かをやってくれるのでは」という期待は持つ事はできないという失望感と焦燥感でした。
2008年も年次改革要望書において、米国政府はアメリカ流金融資本主義に都合のよい構造にこの国のシステムを変えるべく「構造改革」「規制緩和」を日本政府へ要求してきています。「レッセ・フェール」「グローバル・スタンダード」「市場原理主義」「新自由主義」なんと呼ぼうが、こちらの論理に正当性が与えられ、その支援派が日本においてもマジョリティーである限り、この国の経営環境は、日本の地方の資本家や企業家にとって、公正な競争ができるものになるとは思いません。
「個」の経営努力では限界を感じる日々が続いています。「負ければ賊軍」。敗者となってから、ルールの不公正にクレームしても後の祭りです。
『シュンペーターの期待する創造的破壊の役割を担うため、企業家「いわさき」は負けるわけには行きません。日本型資本主義が破滅しないためにも』そういう思いの中で出版した拙著であります。
御一読賜り、御感想・御批判をどしどし頂ければ幸甚に存じます。
目次のご紹介
はじめに—地方経営者は怒っている
- 日本はいまだに「律令制国家」である
- 官僚を誰もチェックできないのが「国民主権」
- 規制緩和が地方事業者を疲弊させた
- 小泉「民営化」で得をした人たち
- 国家権力の財布の中身こそが国富なのか
- すでに破綻した日本の中央集権システム
- 地方だけが割を食うオープンスカイ政策の愚
- いまのままでは年金問題は絶対に解決しない
- 過去、国家に捨てられた人たちはたくさんいる
- お金持ちがどんどん外国へ出て行く
- 地方「分権」でなく地方「主権」であるべき
- なぜ国家のマネジメントが不在なのか
- このままでは二流国に落ちてしまう
第二章 憲法の「欠陥」が地方を殺す
- 国民の代表が統治する仕組みになっているが・・・
- 「三権分立」のシステムも欠陥だらけ
- いまの相続税法は違憲立法である
- 憲法では地方自治の権利でさえ「虚構」
- 「条例」は法律違反にならないという欠陥
- 地方の役人も条例を盾にとって権力をふるう
- 性悪説に基づいたチェックシステムも必要
- 日本に憲法裁判所がないことが問題
- 閣僚が変わっても官僚は変わらず
- 官僚制度自体が悪いわけではない
- 訴訟は統治側が必ず勝つ仕組みになっている
- 「金融検査マニュアル」が経済を衰退させる
- 日本の株主は利潤の最大化を望んでいない
- 企業の価値はP/Lだけではわからない
- 「ムダな投資」という表現はおかしい
- グリーンピアは「してはならない投資」だった
- 役所は副業の拡大に血道をあげている
- 大企業やマスコミも官僚と同じようなもの
- 政府系金融機関のメリットも消えてしまう
- 銀行の存在目的とは何か
第四章 民営化・規制緩和が地方を殺す
- 「変わるリスク」か、「変わらないリスク」か
- 談合を叩けば叩くほど地方は疲弊する
- 「日本郵便輸送」は独占禁止法違反ではないか
- 地方経済は「どっちに行っても地獄」という状況
- なぜ地方のバス事業は赤字だらけなのか
- 道路公団の民営化が地方企業の経営を圧迫する
- 役人自身が矛盾を感じながら仕事をしている
- 規制緩和が日本の公共サービスを破壊した
- 郵便事業を牛耳る最強のごまかし軍団
- 運輸に関する規制緩和は完全に失敗
- 屋久島には光ケーブルが永遠に敷設されない
- 鹿児島市交通局の退職金ゼロというまやかし
- どんな組織も「ムラ社会の掟」が優先する
- 日本社会の実態はゲマインシャフト
- 官僚もまた組織の利益のために働く
- 談合と分配のみに気を配るボスでは通用しない
- 弱者を装い、不公正な配分を求める人が多い
- なぜ私は法廷で闘うのか
- 大企業の横暴も山ほどある
- よい弁護士を見つけないと裁判に勝てない
- 行政や大企業ほど文書を残さない傾向がある
- 新種子島空港建設における土地買い上げ疑惑
- あまりに不可思議な買い取り用の予算計上
- 前鹿児島県知事の職権乱用疑惑
- 公金の配分が密室の中で不公正に決められている
- JASがした約束を日本航空は守る必要がない?
- 九州運輸局の決めたサービス基準は違法
- あえてライバル企業に共同運航を持ちかける
- このままでは島民の交通手段がなくなってしまう
- 意地でも運航を停止しようとした九州運輸局
- ライバル企業の不当件廉売が始まる
- パチンコの儲けを赤字航路に注ぎ込むライバル企業
- 最後まで守らなければならないものは自尊の心
第六章 リーダー不在が地方を殺す
- 李 登輝さんから学んだ「最高指導者の条件」
- 中国のほうが日本よりはるかに実存主義的
- 「選ばれし者」という自覚を持つことは悪なのか
- いまの役人は「公」より「私欲」を優先
- 大組織が陥る前例主義や知識偏重主義の原因
- 経営者の究極の仕事は「判断すること」
- 世界と勝負できる「インターローカル」とは何か
- 「観光産業」より「交流産業」を追求する
- なぜ日本では改革がうまく進まないのか
- 道州政府にかなりの主権を移せば遷都になる
- 地方企業がつぶれたら日本はつぶれる
- ムラ社会を変えるリスクを取った理由
- 「由らしむべし、知らしむべからず」でいいのか
- 「義をいうな」の本来の意味とは
おわりに—地方の経営者よ、立ち上がれ!
“おわりに”より抜粋した本文のご紹介
この十年、グローバルスタンダードの名のもとに、アメリカ型資本主義経済システムへの移行をしいられてきた日本。世界金融危機によって、小泉・竹中構造改革の錦の御旗のもとになされた規制緩和や民営化が、日本型の市民社会自体の解体改造計画であったことを改革支持の日本人もやっと気づき始めた。
地方に住む企業家は、日本型市民社会改造計画の最大の犠牲者の一人である。その犠牲者たちの一人として、何らかの方法で、中央に、全国に、自分たちの立場や言い分を伝えなければ、自分たちはこの国から抹殺されるのではないかという危機感を持つようになって数年がたった。(略)
不況に陥って雇用問題が大きな社会的な関心事となっているが、あえていえば、こんな状況になることぐらい、この国がアメリカ型資本主義をありがたがって導入したときから、十分に予見できた。放任された資本主義は、主人たる人間さえも、単なる労働市場の供給財としか見なさないからである。
この国の、この難局を打開する方策の一つとして、また、長期的国家戦略としての真の構造改革策として、従来の中央集権的な手法や官僚的なアプローチを廃して、地方の企業家にクレジット(信用)を与え資本・資金を供給することにより、地方から活力と経済と雇用を回復させる。本書を一人でも多くの人に読んでいただき、私のこの思いへの共感者のネットワークが全国に形成され、地方から何かが始まることを願って、本書のあとがきとしたい。(略)